Bolivia &

「私とアンデスの家ボリビア」

「私とアンデスの家ボリビア」

4名のアーティストの方に想い出を語っていただきました。

宍戸誠さん(LOS KJARKAS)

1977年 神奈川県松田町生まれ。
1999年 ボリビアに渡り、チャランゴ修行の後、「Munay」に加入。
2002年 ボリビアのスーパースターグループ「LOS KJARKAS」に正式加入。
ソロ活動のほか、日本人グループ「ワイラ・ハポナンデス」でも活躍する。
ボリビア在住のチャランギスタ。
●オフィシャルサイト
https://makotex.wixsite.com/makoto-s

今でもレコードの匂いを嗅ぐと思いだします…
子供の頃、アンデスの家ボリビアから新譜のレコードが入った!
と電話をいただくと、学校からスッ飛んでお店に向かっていました。
お店に入るとボリビアから届いたレコードが沢山並べられていて、福岡さんが1つ1つ説明してレコードをその場でかけてくれました。
今はネットで簡単に新譜などの音源を聞くことができますが、昔はレコードの到着をどんなに首を長くして待っていたか…忘れられない思い出です。
そんな思い出がいっぱい詰まったアンデスの家ボリビアを娘さんの福岡えりちゃんが引き継いでくれて本当に嬉しいです。
地球の裏側ボリビアから応援させていただきます。
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フェルナンド・ヒメネスさん(FERNANDO JIMENEZ)

1963年 ボリビア ラ・パス生まれ。
1977年 13歳でサンポーニャ奏者としてデビュー。
「黄金のサンポーニャ」という異名を持ち、ボリビア国内外で活躍。
1983年 エルネスト・カブールらとともに初来日。
その後、「LUZ DEL ANDE」や「IRPAWI」などのグループとしても複数回来日している。
アルバム「ZAMPOÑA DE ORO」のジャケット写真は、松田町のアンデスの家ボリビアで撮影したもの。
製作者としては、3列クロマティックサンポーニャを開発。
ボリビアサンポーニャ製作者協会会長。

Conocí  CASA  DE  LOS  ANDES 《 BOLIVIA 》en 1983 acompañando el tour del Maestro Ernesto Cavour en Japón.
Fue inolvidable y a través del Maestro Fukuoka y su esposa Mayumi quedó grabado por siempre en mi corazón.
『アンデスの家ボリビア』とのご縁は1983年にマエストロ・エルネスト・カブールの日本ツアーに随伴した時からのことです。
その時のことは忘れ難く、福岡稔さんと愛妻・麻由美さんのおかげで、私の心に深く刻まれています。
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菅沼ユタカさん(「Studio Masa」ケーナ・サンポーニャ奏者)


1963年 横浜市生まれ。
1980年 日本大学フォルクローレ合奏団入団。「ロス・コヨーテス」として各地でライブ・コンサートを行う。
1982年 「関東学生フォルクローレ交流会」の初代会長としてフォルクローレの普及に努める。
1995年 プロ活動を開始。98年には「菅沼ユタカフォルクローレ教室」を主宰。
教室合同発表会を18回、アンサンブル発表会を6回主催。
2018年 玉川学園前に「Studio Masa」をオープン。
ケーナ・サンポーニャ・チャランゴ・ギターレッスンを行い、レコーディング・各種ライブ・イベント等を開催。
●「Studio Masa」
https://ameblo.jp/quena-zampo/entry-12397707953.html

松田町のアンデスの家で大学1年生の私は福岡さんご夫妻と出会いました。
何も知らない学生の私にとても丁寧に熱心にボリビアを説明して下さりとても感動しました。
関東学生フォルクローレ交流会で初代会長になった時も親身にサポートして下さった事は忘れられません。
また、交流会の初期から何も知らない大学生達を指導し、私個人的にもたくさん力になっていただき、
自分のフォルクローレ人生の誇りでもあり、忘れ難い思い出です。
そして、えりちゃんが『アンデスの家ボリビア』を引き継いでいるのが幸せであり、日本の誇りだと感じています。

↓1981年 山北町のアンデスの家ボリビアにて(提供:菅沼ユタカさん)

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福田大治さん(チャランゴ&ギター奏者)

1966年 京都市生まれ。
90年代よりボリビアに計8年間暮らした後、現在までに南米各国の歴史的巨匠やトップアーティストと共演・レコーディングを重ねている。
2007年 非南米人アーティストとして初めて、ボリビア政府およびSBCより現代チャランゴ界最高位の勲章「マエストロ・ディプロマ」を授与。
ラテンアメリカ事情全般にも明るく、複数の大学にて非常勤講師(スペイン語・ラテンアメリカ社会論)として教壇に立っている。
ボリビアチャランゴ協会(SBC、本部ボリビア)日本代表。

”アンデスの家ボリビア”には、まだ関西の高校1年生だった1983年に人生1台目のチャランゴを購入するために伺いました。
福岡さんの楽器部屋は想像を絶するもので、まさに、まだ見知らぬ国・ボリビア一色の夢のような世界でした!
その日から本格的に自分のチャランゴ人生が始まりました。
小田原から京都までの帰りの新幹線では買ったばかりのチャランゴのケースを半開きにして中の楽器との出会いに感動して胸が弾けていたのをよく覚えています。
福岡さんとはそれからは私の長い南米滞在などでなかなかお会いできず、細く長いおつきあいでしたが、
確か2009年に都内荻窪で岡田浩安さんと智詠さんとでライブをやった際に体調不良をおして来られ、最前列で聴いていただきました。
あまりの緊張で1曲目でチャランゴの弦がひとつ切れてしまいました!
しかし終了後に福岡さんに「いかがでしたか?」とお訊きしたら、言葉をかみしめるかのように「う~ん、ボリビアーノだね!」と言われました。
ボリビア音楽文化の普及に奔走して来られた偉大な先駆者からあれほどまでに嬉しい感想をいただけるとは・・。
そして今、日本中にボリビア音楽愛を広め根づかせていただいた福岡さんの遺志をしっかりと継承され、
”アンデスの家ボリビア”の歴史を見事に甦らせて下さった二代目当主の福岡永梨さんに心から敬意を捧げるとともに、
この素敵な空間がこれからもボリビア音楽に親しみ、またそれを発信する拠点として末長くみなさんに愛されるよう、私も1ファンとして応援させていただきます!

↓1983年 寄のアンデスの家ボリビアにて…高校1年生の福田さんと父・稔(提供:福田大治さん)